「子供は親を選んで生まれてくる」──この言葉を耳にしたことがある人は多いと思います。
色々なSNSでもオススメされていた本にも書かれていました。

スピリチュアルな世界観のひとつで、「魂は生まれる前に学ぶべき課題を決めて親を選ぶ」といった考え方に基づくこの説は、時に親子の絆を深める美しい言葉として用いられることもあります。
しかし、私はこの説にどうしても納得がいきません。
納得がいかないどころが大嫌いです。
全身にぶつぶつのアレルギー反応が出そうなくらい。
この考え方は現実の理不尽や苦しみを“美談”にすり替えてしまう危険さすら感じます。
理由をまとめていきます。
1. 誰が望んで虐待する親を選ぶのか?
もし「子供が親を選んで生まれてきた」のだとしたら、なぜ多くの子どもたちが虐待やネグレクト、貧困や暴力といった過酷な家庭環境に生まれるのでしょうか?
虐待死のニュースを見るたびに思うのです。
あの小さな命が本当に「この親を選んで生まれてきた」のだろうか、と。
スピリチュアルな考え方では「魂の学び」などと説明されることがありますが、それはあまりに無慈悲で無責任ではないでしょうか。
苦しんでいる当人に「あなたが選んだ道だから」と言うことは、苦しみを正当化し、支援や救済の必要性を軽視する言い訳にもなりかねません。
2. 「選んできた」と言われる側の罪悪感
親子の関係が良好であれば、「あなたが私を選んできてくれた」と思うことに希望を見出すのも理解できます。
しかし逆の場合はどうでしょうか?
たとえば親に愛されなかった、理解されなかった、過干渉や精神的虐待を受けた子どもが「あなたが選んできたんでしょう?」と言われたらどう感じるでしょうか。
「自業自得」「あなたの責任だ」と言われているようにも聞こえます。
生まれる家庭や環境を選ぶ自由があるのなら、すべての子どもは愛される家庭を選んで生まれてくるはずです。
それが叶わないという現実がある以上、「選んで生まれてきた」という理屈には無理があると私は感じます。
3. 親の責任を曖昧にする言葉
「子供は親を選んで生まれてくる」という言葉には、無意識のうちに“親を免責する効果”があるとも言えます。
子供が生まれてきたのは「あなた(親)を選んだからだよ」と言われれば、親は「じゃあ自分の育て方もこれでいいのかも」と思いかねません。
しかし現実には、親の言動が子供の人生に深く影響を与えるのは明白な事実です。
育児には知識も配慮も責任も求められます。
「選んで生まれてきた説」によって、その責任がぼやけるのは非常に危ういことだと思います。
終わりに:子供は「選べない」からこそ守られるべき存在
この世に生まれてくるとき、私たちは自分の国も家庭も親も選ぶことはできません。
それが現実です。
だからこそ、すべての子どもは平等に愛され、守られるべき存在あるべきです。
「選んで生まれてきた」という言葉に救われる人がいることも否定しませんが、それを“真理”として語るにはあまりに危うく、現実から乖離しているように思えてなりません。
私たち大人がすべきなのは、子どもたちに理不尽を納得させることではなく、理不尽を減らす努力をすることではないでしょうか。
この方のこのツイート大好きです。
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絵本本当に作って欲しい!
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